『もしもし。 東郷さんのお宅でしょうか? わたし奈良と言いますが、凛さんはご在宅でしょうか?』
「…奈良さん、ちゃんとした言い方もできるのですわね」
『うげっ、なんだお凛かっ』
露骨な口調の変化に凛は顔をしかめる。 普段ならば顔には出さないところだが、電話なので遠慮はない。
「いきなり態度を変えるのもいかがなものかと思いますけど…何か用事かしら?」
『んー…暇』
「…」
『ひまー』
「羽藤さんはいらっしゃらないの?」
いつも凛と同じくクラスメートの羽藤桂をからかってばかりいる彼女が、電話を掛けてきている時点で予想はできているのだが、一応聞いてみる。
『なんかねー、はとちゃんパパさんの実家に行ってるらしんだけど…電波悪いみたいで全然連絡つかないんだよねー』
「あら、お父様のご実家? それって…」
『あー、へーきへーき。 転校とかって話じゃないみたい』
「…そうですの。 それは奈良さんも一安心ですわね」
『そうそう…って、それってどーいう意味よっ、お凛っ!』
「特別他意はありませんわ。 私も羽藤さんとお別れするのは望みませんし」
『むー』
くすくすと笑う凛。
いつも桂をからかっている陽子ではあるが、その実かまってもらいたがっているのは陽子自身に他ならない。 それを凛はからかっているのだ。
「それで? 羽藤さんが戻られるのはいつのご予定ですの?」
『わかんない…。 もう満足に話す前に切れちゃったんだってば』
「あら。 相当不便な場所なんですのね」
『そうねー、乗ってるすっごくローカルな電車は貸し切り状態だ、って言ってたし』
「はあ」
あまりぴんとこない。 電車も満足に乗ったことが無いため、その説明が理解はできるが、感覚的に理解できないのだ。
『もしかしたらはとちゃん、もう帰ってこないかも…』
「どうしてですの?」
『向こうで偶然出会ったかっこいい男の子と恋に落ちて、そのまま2人は愛の逃避行に…とか』
「…。 羽藤さんが何から逃げると言うんですの?」
『え? そりゃー、その男の子が村の名主の跡取息子とかで、『そんなどこの馬の骨ともわからん娘と一緒になるなんて許さんっ』とかいう展開になって…』
「…」
『連れ添って逃げるはとちゃんと馬の骨っ。 そしてやがて逃げ切れないと悟った2人は『どうせ一緒になれないのなら…』とかって展開で、崖から身投げをっ』
「…」
いつの間にか馬の骨が桂から男の子の方にになっている事も含め、呆れて声も出ない凛。
『うわ。 お凛っ、どうする!? はとちゃん、ヤバいよっ!』
「…」
『…』
「…」
『ノリ悪いわねー、お凛。 もうちょっとノってこれない? なんかあたし一人でバカみたいじゃない』
ふう、とため息一つ。
「そんなこと起こり得るとは思いませんけど」
『うわ、お凛ってばひどいこと言うわねー。 はとちゃんが男の子に声なんかかけられる訳ないってこと? くわ、これだからお嬢は…』
「そうではなくて、羽藤さんがいきなりそんな急展開についていけるとは思えないのですけれど」
『いやいや、はとちゃんは流されやすいからねー。 今頃どんな濡れ場を迎えてるかわからんよー』
「あら。 羽藤さんに先を越されてしまいますわね」
『んぐっ!? …むむむ』
真剣に悩む電話越しの陽子にあきれつつも笑みがこぼれる。
『はとちゃん…大丈夫かなー…』
心配そうな声。 元々母子家庭の桂は少し前に母親を亡くした。 凛も桂のことは気にかけていたが、それ以上に陽子は気にしていた。
だから今一人でいるであろう桂の事が心配で仕方ないのであろう。
「大丈夫ですわよ。 羽藤さんはあれでも結構強い方ですから」
相当つらいはずなのに、自分達といる時にその様子を見せない。 少し悲しそうな顔を浮かべる時もあったが、すぐにいつも通りになる。
もちろん自分達に見せてない部分があるという事は凛も承知はしているが、彼女なら平気だろうという凛なりの信頼であった。
『甘いっ。 あんたは甘いわっ、お凛っ!』
けれど電話越しの彼女は納得できないようで。
『あんたははとちゃんの繊細な部分がわかってないっ。 はとちゃんはねえ…とてもか弱いのよっ!』
「でしたら羽藤さんについて行かれればよかったのではないですの?」
『だって、はとちゃん、いつの間にか一人で行ってたんだもん…』
「それではしょうがないですわね。 私達にできることは無事お帰りになるのを待つだけですわ」
『ぐぬぬ…』
確かに全く心配がないとは凛も思ってない。 けれど、何もできない現状ならばせめて無事を祈るだけ。 大切な友人とまた会えるように。
「どうしました、奈良さん?」
『…』
「奈良さん?」
『暇』
つまりは桂に会えないから、心配で落ち着かないから。 だから気持ちを分かち合える者と不安を分かち合いたかったのだろう。
「ふう…。 電話で話してても埒があきませんわ。 家にいらしてください」
『ええー。 お凛の家は緊張してイヤなんだよねー』
「いいから、お待ちしておりますわ」
『んー、わかった。 じゃ、後で』
そう言って、電話が切れる。
今いない友人のために、今から来る友人と語り合おう。
それは人に羨まれることの多い満たされた環境の彼女にとって、何よりも望む、価値のある、幸せな時間でもあった。
(終)